(承前）
美術と工芸
この論争を読んで、小山、天心どちらの意見にもそれぞれ一理あるというのが私の正直な感想です。
このような言い方をすると、何か逃げ口上のような印象を与えるかもしれませんが、この論争は、実は全くかみ合ってはいないのであります。
結論から言うと、小山は純美術的な立場から「書芸」を論じ、天心は美術という範疇よりも、もう少し広い汎芸術的な立場からこれを論じているのであります。
天心の立場が、美術に対する「工芸」Crafts の立場であるならば、もっと明解であったのですが、この論争がたたかわされた明治15年頃には、まだ美術と工芸を明確に区別する考え方が、わが国にはなかったのであります。
同時に天心は、この概念を極めておおらかにとらえています。
元来造形美術は、大きく分けて通常次の4つに分類されるというのが今日の一般
的な考え方です。
１、建築
２、絵画
３、彫刻
４、工芸
であります。
１、２、３、は美術の範疇に入れられ、工芸と区別されてきました。
しかし、元々は工芸から分化したものです。
古では、これらはすべて宗教信仰から発したもので、元来個性や個人のセンスを主張する意図は少なく、信仰やその時代精神などにより重きを置き、現代考えられているようなこととは別のところにその創作意図があったことが十分考えられるのであります。
レオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラントの大家においても、今日の画家の如き動機とは別のところにそれがあったと思うのであります。
この美術と工芸は、古では深く関連していましたが、時代の経過と共に判然と分業化されるようになりました。
美術Artは元来Skill（Skil）「熟練」「手腕」「技量」の義であり、Armと語源が同じであり、「腕利き」「腕前」という言葉もあるように、もともと工芸性の強い概念であります。
因みに「工芸」を英訳するとCraftsになりますが、これは明治25年以降から日本で使われるようになった言葉であります。
したがってそれ以前には、わが国で美術と工芸を明確に区別する習慣や言葉がなかったのであります。
もっともこれは英国でも同様であって、1888年に編纂された「ニューオックスフォード英語大辞典」（この辞典は、実際に使用される一切の英語を網羅されたものです）にも「Art
and Crafts」の文字は見えません。
これで英国にも二者を区別する考え方が無かったことがわかります。
それでは、何時頃誰が「工芸 Crafts」という言葉を使ったのでしょうか。
それは、1888年、ウイリアムモリスらが「The Art and Crafts Exhibition Societi」なる言葉を用いたのが初めといわれています。
翻って、東洋の文献をあたってみると、1060年頃に編まれた唐代の正史で、「唐書」（とうじょ）という文献があります。
そのなかの『閻立徳伝』というところに「工芸」らしき概念が出てきます。
これも、美術に対する工芸の意味ではなく、絵画等も含む全般的な技芸の意味でありました。
これらのことからわかることは、美術という概念は、傑出した個性や美意識を賛美する「天才主義」「個人主義」の産物であったわけです。
民芸運動の創始者である柳宗悦は、「だが、個人を中心とする見方は、ある時代での必然な要求というまでではないだろうか。その存在理由は一時期においてのみ容許せられるべきではないだろうか」と云い、天才賛美は天才ならざる大衆の否定（閑却）
につながるおそれがあり、すべての民衆を天才に育て得る望みも無くなると考えたのであります。
「書は美術ならず論争」にもどりますが、「書芸」というものは、どちらかというと個人の創意工夫や、個人的な卓越した美意識の発露で創作されるものではなく、より時代の影響（様々な文字や書体の創始自体、時代の産物だといえまいか）を受けやすい分野です。
同時に、文字は、小山が云うように一種の符号であります。
そのような条件のもとに成立する書芸は、非実用性、非日常性を属性にもつ絵画などとは当然区別されるべきではないかと思うのであります。
書の立場を、工芸の世界から光を当てた思想家はまだいませんが、天心の立場は、極めて原始的ではありますが、これに近いものがあります。
天心は次のように述べています。
「此時に当り計をなすに、美術思想を流布し、卑賎高尚の別なく天地万物の美質を玩味し、日用の小品に至るまで、思想を歓悟するの具に供せしむるに若くはなし。」
また次のように云っています。
「其の主旨とする所大に異なると雖ども、実用技術の中にて美術の域に入るものあり。
例えば彼の建築術 architecture の如き」
「世人の美術を以って許せる建築術は、内質の堅固と共に、外貌の美麗を索むる術なり。風雨寒暑を防ぐの外、更に索むる所あるなり。……中略……書は固と言語の符号なり。書を作るは実用技術なり。苟も字体を成せば其職分畢れり。
猶小屋にして風雨寒暑を防ぐが如し。然れども、我が書に索むる所は、啻に字体を成すに止まらざらなり。我書は勉めて前後の体勢を考へ、各自の結構を鑑み、練磨考究して美術の域に達するものにして、欧州人の唯だ意を通ずるを以て是れりとするに比
すれば、大に異なる所あり。」
この観点には工芸的要素が見え隠れします。
ただ柳宗悦の工芸理論は、上手（じょうて）の貴族的な美術品を美しくしている要素は、民衆の下手（げて）の工芸品が美しくなった条件と同様であるという考え方であるのに対して、天心の考え方はややニュアンスが違います。
この天心の「美術⇔実用技術useful arts」という分類は、後年「民芸思想」で論じられるような「美術⇔工芸」の如き整合性をもったものではなかったといえます。
同時に、天心の論をおし進めていくと、もともと非美術的な実用技術が深化すると（卓越した創造性が付与されると）美術の域に入るという論理になります。
これは、いいかえると実用技術はその本来の属性でもって美術になるのではなく、ある種の非実用性の要素がはたらいて美術になるという論理であります。
これは、柳の立場とは根本的に異なります。
もっとも、この両者の関係を理解するためには、「民芸思想」の美術と工芸という図式がもっともわかりやすいのでありますが、美術art
と工芸craftという呼称が使われるようになったのは、先ほども述べたようにわが国では明治25年以後のことであって、この論争当時にはまだ両者の明確な違いというものが十分認識されていなかったのであります。
もともと非美術的な実用技術が深化すると、美術の域に入るという天心の論理でいくと、実用技術は永遠に美術の下に置かれることになるのであります。
エピローグ
天心が声を大にして言いたかったことは、書（書作）芸の根底には、東洋の偉大な思想や文学があり、書家たるものはそれを一身に担い、その精神を常に涵養するものでなければならないという考えであったと思います。
事実、古の中国の文人たちは、一個の教養として皆書に親しんでいたのであります。
その同様のことを逆説的に主張したのが小山正太郎だったのではないでしょうか。
今の世でも、書家の書はつまらなく、かえって宗教家や文学者の書が大いに光を放っているのはこのようなところにその原因があると思うのであります。
「書」は文字の芸術であり、文字は意思を伝達する符号である宿命からは絶対逃れることは出来ません。
したがって、「書芸」は最初から極めて不自由なノウハウの制約を受けているわけであります。
良くも悪くも、好むと好まざるとにかかわらず、その基盤の上に「書」の芸術というのはうちたてられねばなりません。
書体や書風というのは、おびただしい数に上るでしょう。
書作の際に、これらの時代によって伝承されてきたノウハウを逸脱することは「書芸」のセオリーからいって許されないことでしょう。
もっとも、前衛書やそれに近い現代書などが最近流行していますが、読めない前衛書は明確に「書芸」の範疇に含めるべきかどうか検討を要するでしょう。
また、現代書などに見られるように、伝統的な書体に依拠していないものであっても、やはり読めなければならないという約束に縛られる限り、伝統書と同じことであります。
楷書、行書、草書のように、汎用性が認められていないだけに過ぎません。
つまるところ、「書」は全ての面で歴史的な制約と材料の制約を受けている芸術で、より工芸的であるといえます。
工芸作品は、美術作品と異なり、その国の歴史や美意識をより反映しやすく、またその時代の美意識や精神を託する型式としてふさわしいものであります。
文字を基本とする「書芸」が担うべき使命というのは、日本や東洋のすばらしい文化言葉を伝えることそれであります。
この論争を読んで感ずることは、理論的には小山の主張していることが整合性を得ていると感じる反面、天心の云っていることにある種の感動と親しみを覚えるのは、やはり、書というものは、美術か工芸かということとは別に、日本人が守るべき文化の橋渡し役としてかけがえのないものであるということを、皆知っているからであります。
（完）